SSブログ

骨髄バンクのドナー登録 [病気]

私は兄弟とHLAが一致しての骨髄移植だったので関わることはありませんでしたが、友人たちはバンクからの提供を受けていました。ドナー登録をしてくれた友人や当時仲良くしていた看護師たちもいました。
患者はいつでも移植が出来る状態ではないのでタイミングもあり、患者もドナーもチャンスはほぼ一度きりです。
この人生でこの体では私自身が提供をすることも献血すらも出来ませんが、骨髄バンクがあることは登録者がいることは最後の希望なのです。
※生きている間に部位を渡さずにドナー提供出来るのは骨髄のみです。
 正確には心臓・肺・肝臓・腎臓・膵臓・小腸・眼球も生体ドナーになりますが、基本親族からの提供となっています。

日本骨髄バンク
https://www.jmdp.or.jp/


https://x.com/JMDP1789/status/1766297364757893593


2024-03-10 12:20  nice!(0)  コメント(0) 

結石のあと [病気]

いわゆる緊急入院になったけども結石もいなくなったので「さて退院だ」と思っていたら、ドクターが「折角なので血清治療をしよう」という外来受診中とは方向転換の話になりました。
え???全くもって折角じゃあないんですが・・・・取り敢えず一旦退院してからにしようよ~このままはやだ~、などとぼやく私の反論は聞き届けられず予定外に治療をすることになってしまいました。
(私が知らされてない治療は常に確認をしているのもあり)インフォームド・コンセントはきっちりあったが、未成年だったので同意書は親が書いたと思われます。
治療前の外泊はどうにかこうにか勝ち取り、外泊明けて月曜から5日間24時間心電図必須の点滴治療開始。
本剤での治癒率は確か20%位と低く、またアナフィラキシーショックが起きるので一度きりの治療です。
この血清を使用する病名は限定される為、チームの先生方の計らいにより学会での研究に提出する条件で実費負担の必要がない様にしてくださいました。保険適用外の1本26万の薬剤、5日で130万!
異常があればすぐナースコールで呼ぶ様に強く言われ、午前中の数時間をかけゆっくりと落とす点滴とナースステーションで心電図を見張られており、心不全とかまぁいろんな副作用が出る可能性があるのでトイレ以外はベッドから降りるな!寝てろ!の絶対安静指示でした。
幸いなことに薬剤を入れている間に副作用はなかったのだが何日目かの昼頃に、「ジョルちゃん大丈夫?!」と看護師が飛んで来たことがあって。
ジ「え?何が?」
NS「今何してた?」
ジ「本読んでた」
NS「ほんとに??心電図がおかしかったよ!」
ジ「えー、ほんとに何もしてないよ~。(同病室の)みんなに訊いて、ほんとにトイレの時しかベッドから降りてないってば」
6人部屋の患者さんたちの証言を得て私が大人しくしている証明はなされましたが(放浪癖故に信用ないのがデフォ)、あんなに慌てる程おかしい心電図の動きとは一体どんなものだったのだろうとは今も思います。心電図だってただの機械だしたまには異常なこともあるんじゃないのー?と口にしてましたが、医療機器においてそれはまぁ絶対”あってはならない”ことですからねぇ。

点滴・投薬&心電図装着の5日間を無事に終え、そこからは暫し副作用と採血結果等々経過観察となりました。
幸いなことにこの期間は別階にて仲良しの友人が骨髄移植に入っており、毎日会いに行き電話でも話して私はいつもいつも励まされてばかりでした。
1ヶ月間副作用の欠片も出ていなかったのに、さあ退院だというところになって、息苦しさと胃痛の違和感から翌日に膝下の出血斑・頭痛に関節痛に発熱・・・・強制安静でなくともベッドから動けず。
「退院する前に副作用が出て良かった」と言われたがいつもはやさしいSドクターがめっちゃめちゃ怖いし、逆にマイドクターがやさしかったりしてちょおおおおお不安になったりね。つまりはそういうことだったのだけれど。
再度インサイトを挿れてのステロイド増量と抗生剤で退院が遠退きつつも、結石から54日目、ようやく退院する運びとなり、2年連続クリスマスとお正月を病院で過ごすことからは回避出来たのでした。

喉元過ぎれば、とはよく言ったもので、当時の手帳を見返すとどうやらこの数ヶ月もいろんなことがあり、怒ったり怒ったり悲しんだり辛かったりででも楽しいことも嬉しいこともあったりしてて。
あ、ちなみにこの治療は効いたかも?な上昇を少しするも輸血が必要な状態に戻ってしまい、結局、最終治療をするしか術がなくなるのです。まぁこれは上手くいけば~の、一か八かの治療だったので予定調和だったのかもかも。


2024-02-11 18:30  nice!(0)  コメント(0) 

尿路結石症 [病気]

友人R嬢の推しのアイドルグループの方が結石で公演1日目をお休みすることになったという話から思い出しました。そういえば私も罹患していたことを。

一度目の入院から半年が経った、2週間に2日通院中の某日お昼頃でした。
トイレに行ったら・・・・、ば、血!!!!!
あまりにビックリし過ぎて見間違いなんじゃないか?とわなわなしてしまい、一旦個室を出て、戻って便器を覗いてみたが真っ赤っ赤。
治療を始めてから生理は止まっているし、どう目を凝らして確認しても経血なんぞではなく。血。
突然のことが起こってしまい、暫しフリーズ。
家には誰もいないし、今の時間ドクターは外来対応の筈。取り敢えず病棟に電話しよう、と、代表電番から病棟に繋いで貰ったら仲の良い看護師さんが出てくれて「たぶん、血尿出た」と話したらば、速攻外来に転送されてドクターが出て「いますぐ来い!」と有無を言わせぬ一言。
「え、いますぐ?バスと電車乗り次いで小1時間位かかるけど…血尿出ただけで痛いとかもないよー」
「いますぐ、まっすぐ、外来に来い」
「えー・・・・。わかったー・・・・」
ドクターにまた怒られるじゃんと思ってちょっとだけ避けたのに予想通りの事態になってしまい、財布や診察券を手にした私は渋々病院へと向かいました。
既に午前の受診時間を終えていた外来窓口へ向かい、仲良しのクラークさんに挨拶をして「あれ?今日受診日じゃないよね?」「うん、受診日来週」と話していると、外来の看護師さんに「待ってたよ、ジョルちゃん!すぐ検尿取って。その後2番に入って」と連れ去られました。ちなみに検尿カップの中は尿ではなく本当にただの血液になっていました。
診察室に入ると本来この時間ここにはいない筈のマイドクターが鎮座しており、いつも無表情のドクターがこの時は私がいつもやらかして叱るとかではなく慌ててた様な気が。
「クロスマ用の採血して泌尿器科に行って来い、今日の先生は結石に詳しい先生だから。そっちが終わってベッドの準備が出来たら病棟に上がれ」と。
・・・・・・・・なぬ???
「待って待って、え?入院!?あのさー、荷物取りに帰ってもいい?」
ドクターは一考の余地もなく、「ダメ!」
ドクター紹介の泌尿器科の先生はとってもやさしくて、CTと超音波・診察にて結石確認。現状は砕く必要があるとのお話。
だがその砕く処置の為には、当然、前もっての輸血が必要になる訳で、明日輸血が終わった後にもう一度確認して処置を確定~という流れになりました。
「血尿が出て病院に来たら入院になって帰れないから部屋に置いてあるバッグを持って来て」と母に電話し、なんでそんな簡単にベッドが準備されるんじゃ、と思いながら夕方には病棟に上がり、パートの仕事を終え一旦帰宅して家から入院セットを持って来てくれた母と病室で、なんともないんだよーという話をしていたと思う。
痛みは突然やって来た。
痛みに強い方だと自負しているしあんなに痛いことなんて人生でまぁないだろう、と記憶が朧気だがそう思える位の激痛だった。ベッドで横になり丸まってうーうー呻いて痛い痛いと涙を滲ます私の背中を、母はずっとずっとさすってくれていた。そうそう座薬も入れられました。
1~2時間続いた痛みは過ぎ去ってけろっとしていた私に看護師たちは「お願いだから今夜だけは安静にしてて」と言われ、珍しく大人しく病室で翌日を迎えました。
朝イチで血小板の輸血を終え泌尿器科を受診すると、昨日映っていた結石はいなくなっていた。どうやら昨夜のあの激痛は結石が動いていたかららしく影も形もなくなっており、砕石する必要もなくなってしまっていた。
砕石手順の詳細な説明をされることはなかったが、あのまま石があったら「体外衝撃波結石破砕術(ESWL)」をやったのだと思う。

良く良く考えれば、大量のステロイド投与治療をしてたので結石リスクはあったのだけれどこの時点では知らず(水分摂れ!またなるぞはあとで言われた)、当時の私の身体的にむしろ即救急車呼べだしそりゃあ即入院だし普通に出血してるのだから輸血はすぐ必要だしましてや一旦家に帰るとかマジでオマエ何言ってんだ!なのだけれど、外的要因ではなかったのもあり本人はどこ吹く風で全く深刻に感じていなかった。
うっかり出血したら血が止まらなくなるから命の危険だってちゃんと理解はしてたのに、ね。

結石はいなくなったからよし!じゃあ退院だー!と思ったら、まさかのここから帰れませんの展開だったが・・・・。


2024-02-07 15:00  nice!(0)  コメント(0) 

このブログの更新情報が届きます

すでにブログをお持ちの方は[こちら]